AIは二度、資金を断たれてきた──76年の歴史を、繰り返された「冬」から読む
AI研究は1956年のダートマス会議で始まったが、1970年代と1980年代末の2度、政府や産業界から資金を断たれる「AIの冬」を経験した。Wikipedia「History of artificial intelligence」の出典元をたどり、Lighthillレポートや R1エキスパートシステムなど個別の一次資料で確認できた範囲を整理した。

目次
生成AIが日常語になった2026年から振り返ると、AI研究には「今回が初めてのブーム」ではない歴史がある。1956年に学問分野として産声を上げてから、政府や産業界の資金が断たれる「冬」を、記録に残っているだけで2度経験している。この記事は2026年5月21日に公開した動画「AIの歴史を全部解説。1950年から2026年までの76年間の変遷」(動画: hRq1U--01Co)の内容を、公開後にWikipediaの出典元をたどって記事にしたものだ。2026年8月27日時点で、英語版Wikipedia「History of artificial intelligence」「Dartmouth workshop」「AlphaGo」の各記事本文を確認して書いている。Wikipediaは百科事典であり一次資料そのものではないが、各記述には出典が付されている。
- AI研究は1956年、米ダートマス大学での夏季ワークショップで学問分野として始まった。提案書(1955年9月2日付、John McCarthyら4名の連名)が「artificial intelligence」という用語を初めて使ったとされる
- 1970年代の資金断絶(第一次AIの冬)は、英国政府に提出されたLighthillレポート(1973年)と、米国の機械翻訳を批判したALPACレポート(1966年)がきっかけとされる。1980年代の反動的ブーム(エキスパートシステム)も、1987年のLispマシン市場崩壊で終わり、1993年までにAI企業300社以上が倒産・閉鎖・買収されたという
- 2012年、画像認識コンペティションでAlexNet(深層学習モデル)が圧勝したことが転換点となり、2016年のAlphaGo対イ・セドル戦(4勝1敗)、2017年のTransformer論文、2022年11月30日のChatGPT公開へとつながった
「AI」という言葉はいつ生まれたのか
「artificial intelligence(人工知能)」という用語は、1955年9月2日にJohn McCarthy、Marvin Minsky、Nathaniel Rochester、Claude Shannonの4名が連名で提出した提案書によって導入されたとされる。1956年夏にダートマス大学で開く2カ月間・10人規模の研究集会への資金提供を求めるもので、「学習のあらゆる側面は、原理的にはそれを機械にシミュレートさせられるほど精密に記述できる、という推測に基づいて研究を進める」という一節を含んでいた。
この「ダートマス・サマー・リサーチ・プロジェクト」はAI分野の創設イベントとして広く見なされ、「AIの憲法制定会議」と呼ばれることもある。ただしWikipediaの記述によれば、このワークショップ自体は当初の目標を達成できず「失敗」と見なされており、「成果を出せなかったとき、AIは絵空事として片付けられ、研究資金は枯渇した」という記述が残っている。
先行研究としては、Alan Turingが1950年に発表した論文「Computing Machinery and Intelligence」があり、後に「チューリングテスト」と呼ばれる思考実験(機械との会話が人間との会話と区別できなければ、その機械は「考えている」と言ってよいという基準)が提示されている。
第一次「AIの冬」は何が引き金だったのか
1974年から1980年ごろにかけて、米英両政府がAI研究への資金提供を大きく絞った時期が「第一次AIの冬」と呼ばれている。きっかけとして挙げられるのは2つの政府レポートだ。
1つは1966年のALPAC(Automatic Language Processing Advisory Committee)レポートで、機械翻訳の取り組みを批判する内容だった。この批判を受け、米国研究評議会(NRC)は2,000万ドルを費やした後、機械翻訳研究への支援をすべて打ち切ったとされる。
もう1つは1973年、英国政府に提出された「Lighthillレポート」(James Lighthill氏による)で、AI研究が「壮大な目標」の達成に失敗していると批判し、英国におけるAI研究の解体につながったとされる。同時期、米国防高等研究計画局(DARPA)もカーネギーメロン大学の音声理解研究プログラムへの年間助成金300万ドルを打ち切った。
エキスパートシステムの1980年代ブームは、なぜ終わったのか
1980年代に入ると、専門家の知識を論理ルールとして蓄積し特定分野の質問に答える「エキスパートシステム」が世界中の企業で採用された。象徴例が、カーネギーメロン大学が1980年にデジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)向けに開発した「R1」で、1986年までに年間4,000万ドルのコスト削減を実現したと記録されている。1985年までに企業はAI関連支出で年間10億ドル以上を投じ、「AI産業は1980年の数百万ドル規模から、1988年には数十億ドル規模へと成長した」とされる。
この好景気は長くは続かなかった。転機は1987年、デスクトップコンピュータ(Apple、IBM製)が、Symbolics社などの高価な専用AIハードウェア「Lispマシン」より高性能かつ安価になったことだった。専用ハードウェアを買う理由がなくなり、「一夜にして5億ドル規模の産業が消滅した」とされる。加えて初期のエキスパートシステムは維持コストが高く更新が難しく、想定外の入力に「脆い」ことも分かってきた。1993年末までに300社を超えるAI関連企業が倒産・閉鎖・買収され、最初の商業的な波は事実上終わった。この時期が「第二次AIの冬」と呼ばれる。
AIは「冬」の間、何をしていたのか
資金と注目を失った期間も、AI研究は名前を変えながら続いていたとされる。象徴例が、1997年5月11日にIBMの「ディープ・ブルー」が現役の世界チェスチャンピオン、ガルリ・カスパロフを破ったことだ。2000年代にはDARPA主催の自律走行車競技会も行われ、2005年にスタンフォード大のロボットが131マイルの砂漠コースを完走、2007年にはカーネギーメロン大のチームが市街地55マイルを自律走行して、それぞれ優勝した。Wikipediaの記述によれば、こうした成果は「革命的な新しいパラダイム」ではなく、地道なエンジニアリングと1990年代にかけてのコンピュータ性能向上によるところが大きいとされている。
何が「ディープラーニングの転換点」を作ったのか
2012年、画像認識コンペ「ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge」で、Alex Krizhevsky(トロント大学、Geoffrey Hinton研究室)が開発した深層学習モデル「AlexNet」が2位に大差をつけて優勝した。Wikipediaはこれを「機械学習における転換点」とし、以降数年で画像認識の他のアプローチの多くが深層学習に取って代わられたと記述している。同じ頃、HintonらはAI関連会議でオークション形式の交渉を経てGoogleに迎えられ、2014年にはGoogleがDeepMindを買収する(軍事契約を結ばないこと・倫理委員会の監督を受けることが条件だったという)など、大手テック企業によるAI人材・技術の獲得競争が本格化した。
この流れで最も広く知られる出来事の一つが、2016年3月にDeepMindの「AlphaGo」が韓国の囲碁トッププロ、イ・セドル九段と対局した5番勝負だ。AlphaGoは4勝1敗で勝利し、囲碁は当時「まだ手が届かない難問」と広く見なされていたため、大きな驚きをもって受け止められた。対局後、韓国棋院はAlphaGoに名誉九段を授与している。
現在の生成AIブームは、それ以前と何が違うのか
2017年、Google Brainの研究者らが論文「Attention Is All You Need」で「Transformer」というアーキテクチャを発表した。「自己注意機構(self-attention)」を基盤とし、後に多くの大規模言語モデルの基礎となった。2020年にOpenAIがGPT-3を公開するなど、Transformerベースの基盤モデル開発競争が本格化した。
そして2022年11月30日、OpenAIが「ChatGPT」を公開した。公開から数日でバイラルに広がり、2カ月で1億人以上のユーザーを獲得、「史上最も急成長した消費者向けソフトウェアアプリケーション」になったとされる。GoogleはChatGPTの成功を受けて社内で「code red(非常事態)」を宣言し、Geminiの前身であるBardを急いで立ち上げ、Microsoftも自社のBing Chatに同様の技術を組み込んだとされている。
| 時期 | 出来事 | 一次的な性格の出典 |
|---|---|---|
| 1950年 | Turing「Computing Machinery and Intelligence」発表 | 学術論文 |
| 1955年9月2日 | McCarthyら4名がダートマス提案書提出、「AI」の語を導入 | 提案書(Wikipedia経由で内容確認) |
| 1966年 | ALPACレポートが機械翻訳研究を批判 | 米国研究評議会の報告書 |
| 1973年 | Lighthillレポート、英国のAI研究解体につながる | 英国政府提出レポート |
| 1980年 | エキスパートシステム「R1」がDECで稼働開始 | Wikipedia経由(一次資料未確認) |
| 1987年 | Lispマシン市場崩壊、第二次AIの冬へ | 同上 |
| 1997年5月11日 | ディープ・ブルーがカスパロフに勝利 | 報道記録 |
| 2012年 | AlexNetがImageNetコンペで優勝 | 学術発表 |
| 2016年3月 | AlphaGoがイ・セドルに4勝1敗 | 対局記録・報道 |
| 2017年 | Transformer論文「Attention Is All You Need」発表 | 学術論文 |
| 2022年11月30日 | ChatGPT公開 | OpenAI発表 |
「三度目の冬」は来るのか
動画のタイトルにもある「三度目の冬は来るのか」という問いについては、今回確認した一次資料の範囲で確度を持って答えられる材料はなかった。過去2回の冬はいずれも「実際の性能が、資金提供者や社会の期待に追いつかなかった」という構図で起きているが、現在の生成AIブームが同じ構図をたどるかどうかは個別の予測であり、本記事では扱わない。AI研究の歴史が「期待と実力のギャップ」を繰り返し経験してきた、という事実の提示にとどめる。
正直に書いておくべきこと
本記事は主にWikipedia英語版の記述を出典としており、Wikipedia自体は査読を経た一次資料ではない。ただし扱った主要な事実(ダートマス会議の日付・参加者、Lighthillレポート、ALPACレポート、ディープ・ブルーの勝利、AlexNetの優勝、AlphaGoの対局結果、ChatGPTの公開日)は、複数の独立した情報源で長期間一致して伝えられている、比較的争いの少ない史実である。一方、R1の具体的なコスト削減額(年間4,000万ドル)や1987年のLispマシン産業の規模(5億ドル)といった数字は、Wikipediaの記述をそのまま紹介しており、当時の一次資料(企業決算や政府統計)まで遡っての再検証はこのセッションでは行っていない。
また、本記事は76年の歴史のうち転換点となった出来事を選んで構成しており、動画が扱っていたすべての出来事(日本の第五世代コンピュータプロジェクトの詳細など)を網羅してはいない。
一次資料の原文までは遡っていない、Wikipedia止まり
本記事は、Wikipedia英語版「History of artificial intelligence」「Dartmouth workshop」「AlphaGo」の各記事を、2026年8月27日時点で直接確認して作成した。個別の一次資料(Lighthillレポート原文、ALPACレポート原文など)そのものへの直接アクセスによる再検証は、本記事執筆時点では行っていない。
AIエージェントや現在のAI活用の基礎知識についてはAIエージェントとは?、用語の整理にはAI用語集、NVIDIAを中心とした現在のAI半導体産業の構図についてはAIチップ 業界地図も参照してほしい。
出典・参照資料
この記事の解説動画
YouTubeで見る ↗AIニュースの解説を動画でも
YouTubeでは注目ニュースの背景を解説し、Xでは新着記事をお知らせしています。
コメント
まだコメントはありません。最初のコメントを書いてみませんか?
AIについて聞きたいことはありますか?
質問箱で無料で受け付けています。回答は公開され、他の方の参考にもなります。
質問箱を見る →新しい記事をメールで受け取る
AIの新しい発表を、出典付きで整理して届けます。